東京地方裁判所 昭和26年(ワ)6489号 判決
原告 共伸工業株式会社
被告 黒木光学工業株式会社 外一名
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
第一、申立
原告-「被告両名は原告に対し連帯して、金五百万円及びこれに対する昭和二十六年十月三十一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告両名の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。
被告両名-主文と同趣旨の判決を求める。
第二、請求の原因
(一) 原告は、東京都板橋区志村前野町千八十八番地に、木造セメント葺平家一棟建坪百三十二坪を所有し、この建物を工場として使用していたところ、昭和二十六年七月二十六日夕刻原告工場に隣接する被告黒木光学工業株式会社(以下「被告黒木光学」という。)の工場事務所から火災が発生し、原告工場に燃え移り、そのため原告工場は全焼した。
(二) 原告はこの工場に、機械、器具、工具、什器備品、製品半製品材料等を設備し、又は貯蔵していたが、これまたこの火災のためにすべて焼失してしまつた。
(三) この火災は、被告太平金属工業株式会社(以下「被告太平金属」という。)の工場の煙突から飛散した火の粉が、そこから約百メートルを距てた被告黒木光学の工場事務所の屋根スレート瓦下の板葺(いわゆるトントン葺)に附着し、徐々に内部に燃え拡がつた結果発生したものである。
(四) 被告等は前記火災の発生について、つぎのような重大な過失がある。
(1) 被告太平金属は非鉄金属類の鋳物製造を業とし、石炭、亜炭、コークス等を燃料として、送風機を使用して火を噴かす作業を行つている。そのため煤煙が煙突から多く飛散するにもかゝわらず、(イ)東京都火災予防条例第六条第六号(ニ)に定められた煤煙防止装置を施さず、(ロ)又東京都工場公害防止条例第十五条第一号により煙突の高さを二十三メートル以上にすべきであるのに、同被告の煙突は高さ約二十メートルであつて、この規定に違反している。(ハ)しかも、当日は七、八日前から炎天続きで空気が乾燥し、湿度四十二度、風速六、五メートルという火災発生に好条件の日であつたから、燃料の投入及び送風機の操作等に格別の注意をすべきであつたのにこれを怠つていた。
そのため、前記のとおりその煙突から火の粉を飛散させて被告黒木光学の工場に火災を起させ、ひいては原告工場を類焼させた。
(2) 被告黒木光学は、各種レンズ製造業を営み、エーテル、ベンジン等可燃性の強い薬品を使用し、かつ常備している。それゆえ、(イ)消防法第八条に定められた防火責任者を設け、常時防火に必要な人員をその工場に配置すべき義務があり、(ロ)又当日は前記のように火災が発生しやすい条件にあり、その上本件火災が発生する一時間位前に、被告太平金属の煙突から出た火の粉によつて、自己の工場内二三ケ所に小火があり、被告太平金属に対して警告したことがあるくらいであつたから、特に防火に留意しなければならなかつた。ところが、以上の注意義務を怠つて、火災発生当時全従業員が野球に出かけて留守であつたため、火災の発見と消火が遅れて、ついに原告工場にまで延焼するに至らしめたのである。
(五) 原告はこの火災により、前記工場建物(価格金三百万円)、機械、器具、工具類(価格金百八十一万七千円)、製品、半製品、部分類(価格金千二百四十八万四千四百十円)、及び材料消耗品(価格金二百十四万四千七百八十六円)をすべて焼失したので、その価格総計金千九百四十四万六千百九十六円相当の損害を被つた。
(六) この損害は、被告両名の共同不法行為によるものであるから、被告両名は原告に対し連帯してこれを賠償する義務がある。
よつて、原告は被告両名に対し連帯して、以上の損害金のうち金五百万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和二十六年十月三十一日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、被告太平金属の答弁
(一) 原告主張の請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実は知らない。
(三) 同(三)の事実は否認する。本件火災は被告黒木光学の過失によつて発生したものである。
(四) 同(四)の(1) の事実のうち、被告太平金属の業務及び作業が原告主張のとおりであること、及び煙突の高さが二十三メートル以下であることは認めるが、その他は否認する。
本件火災は、被告太平金属の煙突の火の粉によつて発生したものではないが、同被告は火災の発生防止についても、つぎに述べるように十分注意をしているから原告主張のような重大な過失が存する余地がない。
被告太平金属工場では、伸銅品圧延工程作業において、石炭反射炉二基を使用しているが、これはいずれも炉内に反射室を有し、火稻によつて反射室内に押入してある黄銅材料を加熱する装置になつている。加熱室は二十センチメートル平方の吸入口が地下に掘られた高さ八十センチメートル、幅七十センチメートルの煙道(その長さは第一炉においては三十メートル余、第二炉においては十六メートル余となつており、当日使用したのは第一炉だけである。)に通じ、この煙道からさらに高さ二十メートルの煙突に通ずる構造である。炉の使用時にも、火煙は加熱室内のみに存し、吸入口から煙道に達することさえなく、可燃物はすべて反射室内で火煙により燃焼し尽されてしまい、火の粉が煙道に及ぶことはない。
(イ) 原告が指摘している東京都火災予防条例第六条第六号(ニ)にいうところの「適当な煤煙防止装置」に関しては、同条令及びその施行規則中に具体的な規定はないが、前記のような地下に設けられた長い煙道こそ、最も適当な煙煤防止装置といえるのである。なお、炉の作業効率を上げる目的からも、煙道及び煙突については常に十分掃除を行つている。
(ロ) つぎに、東京都公害防止条例の対象とする公害とは、その第二条にうたつてあるとおり、工場の設備及び作業によつて生ずる騒音振動煤煙その他のものにより、工場外の人又は物に与える障害を指称し、火災をその対象とするものではない。従つて同条令第十五条の規定は煙突から発する煤煙が周囲に及ぼす衛生上の害を防ぐ立場から設けられた規定であつて、火災の予防に関するものではない。
また、同条令第十五条は、多量の燃料を使用する汽罐炉を対象としているが、被告の使用する炉は汽罐炉ではなくて反射炉であるからこの規定の適用を受けるものではない。
(ハ) 被告太平金属では被告黒木光学の女子従業員から火の粉がでている旨注意があつたので、念のため送風機の運転を中止し、従業員をして煙突を点検させたが、一片の火の粉も認められなかつた。それ故前記警告に対しては極めて適切な処置をとつたものであつて、この点に何等の過失もない。
(五) 同(五)の損害の点は知らない。
(六) 同(六)の主張は争う。
以上のとおりであるから、原告の請求は失当である。
第四、被告黒木光学の答弁
(一) 請求原因(一)(二)(五)及び(六)については、被告太平金属の答弁と同様である。
(二) 同(三)の事実は認める。
(三) 同(四)の(2) のうち、被告黒木光学が原告主張の業務を営み、その主張のような薬品を使用していること及び火災当時大部分の従業員が野球に出かけて留守であつたことは認めるが、その他は否認する。
(四) 要するに、本件火災は被告太平金属が、被告黒木光学から再三警告を受けながら、煤煙防止の方策を講じなかつたため、その煙突から火の粉が飛散して、発生するに至つたものである。被告黒木光学はむしろ被害者であつて、この火災につき何の過失もないから、原告の請求は理由がない。
証拠
<省略>
三、理 由
一、原告主張の請求原因第一項の事実は、当事者間に争がない。
二、そこで、まず被告黒木光学の火災が、被告太平金属の煙突から飛散した火の粉により、発生したものであるかどうかについて判断する。(もつとも、被告黒木光学はこの点を認めている。)
証人越柴惣一、中井すみ子、安藤良夫、内田亀之助及び小松忠義の各証言を考えあわせると、つぎの事実が認められる。
(イ) 前記火災の当日、被告太平金属の煙突から煤煙が飛散し被告黒木光学及び原告の各工場の方向に向いその中にはマツチの頭大の火の粉も混つていたので、本件火災発生の後一時間前(午後六時頃)、被告黒木光学の事務員中井すみ子が被告太平金属の守衛に対して注意した。
(ロ) これよりさき、すなわち本件火災発生より約一時間半前に被告黒木光学の工場の庭にある屑箱の紙片に火の粉が附着したため、小火を起して同工場と原告工場との間の板塀を五寸程焦した。
(ハ) 本件火災の発火点は、同工場の事務室の天井裏であるが、板橋消防署の調査によれば、同所附近には当時火気はなく、また漏電によるものと認められず、その他にもこれという内部的な出火原因も見当らなかつた。
証人井上繁弘、野村良弼、深石繁雄、斎藤五郎及び被告太平金属代表者俵信次は、当日被告太平金属の煙突からは、火の粉はもとより煤煙も出ていない旨述べているが、前記各証拠と対比すれば、いずれも信用することができず、他に以上の認定を動かすだけの証拠はない。
以上に認定した事実から推察すると、原告主張のとおり、被告太平金属の煙突から飛散した火の粉が被告黒木光学の工場の屋根に附着して、本件火災をひき起こすに至つたものと推認するのが相当である。
三、つぎに、被告等の火災発生に関する重過失の有無について判断する。
(一) 被告太平金属について。
(1) 東京都条例第百五号火災予防条例第六条第六号(ニ)によれば、煙道、煙突の構造及び取付については掃除が安全にできるよう適当な位置に掃除口を設け、且つ火の粉により発火のおそれがある箇所に用いるものは、適当な煤煙装置を施す旨定められているが、同条の規定は、工場の煙突を除く家庭用の低い煙突を対象とするもので、同被告の煙突のように、高いものにはその適用がないことが明かである。したがつて同被告の煙突について煤煙防止装置が施されているかどうかにふれるまでもなくこれが欠けていることをもつて、同被告に重過失があるとする原告の主張は採用することができない。
(2) 被告太平金属の煙突が高さ約二十米であつて、原告主張のように同都条例第七十二号工場公害防止条例第十五条第一号に規定する高さに達していないことは当事者間に争がない。同条例の公害のうちには火災も含まれていることは同条例第十八条の規定から見ても明かである。しかしながら、同条例第十五条の規定は、火災予防上必要な事項を定めた前記火災予防条例においても、特に煙突の高さについての規定がないことから考えて、直接火災の予防を対象としたものとは認め難く、その内容から見れば、むしろ同条例第二条に掲げられた公害中の、煤煙により工場の人又は物に与える障害を対象としていると解すべきである。それ故同被告の煙突の高さが同条の定める高さに達していなくても、被告太平金属において火災の発生について重大な過失があるということはできない。
(3) 証人井上繁弘、深石繁雄、斎藤五郎、細田等蔵及び塚本孝一の各証言並びに被告太平金属代表者俵信次尋問の結果と検証の結果とを考え合わせると、被告太平金属工場の石炭反射炉の装置及び炉から煙突口までの構造は同被告の主張するとおり(前記第三の(四)の(1) )であり、各炉から煙突の下まで合計四ケ所の掃除口が設けられていて年二三回掃除が行われていること及び以上のような装置構造をもつ施設においては加熱室の火が吸入口から三十メートル余の煙道(第二炉においては煙道は十六メートルであるが、この方は当日午後四時までで作業を止めている)と、さらに約二十メートルに及ぶ煙突とを通りぬけて、外部に飛散する可能性は極めて少いことが認められる。
もつとも、被告太平金属の工場のように、多量の燃料を使用する作業をする場合には煤煙や火の粉は、送風機の操作、燃料の種類及び多寡並びにその日その日の気象の状態等、種々の条件の複雑な組合せによつて、理論上推測される以上に多くでることもあり得るのであつて、現に証人安藤良夫及び大塚孫三郎の各証言によれば、同被告工場においても、これまでにそのような事例があつたことが認められる。それ故同被告としてはその施設自体について完全を期するばかりでなく、作業中は常時火の粉が飛散せぬよう注意し、もし飛散するようなことがあれば、直ちに作業を調節又は中止し、その原因を究明しこれを取り除く等適当な処置を講じ、火災の発生を未然に防ぐ義務があることはいうまでもない。このことは同被告が相当な注意をすれば可能であるから、さきに認定したように自己の工場から飛散した火の粉により本件火災をひき起した以上、前記注意を怠つた責は免れ難い。しかしながら、前記のとおり、この煙突から火の粉が飛散することは、むしろ異例のことに属するし、本件の火の粉の程度のものでは、発火の可能性は極めて大きいとはいえない。しかも、証人中井すみ子、野村良弼、深石繁雄、及び斎藤五郎の各証言によれば、同被告工場では、被告黒木光学の女子従業員から火の粉が飛散して危険である旨警告を受けるや、直ちに作業を中止して現場を検査していることが認められる。以上の事実から見れば、本件火災発生に関する被告太平金属の過失の程度は、法にいう重大な過失の域に達しないものと解するのが相当である。
(二) 被告黒木光学について。
被告黒木光学の従業員の大部分が本件火災当時野球に出かけて留守であつたことは、当事者間に争がなく、同被告の工場の庭にある屑箱の紙片に火の粉が落ちて板塀を五寸程焦がしたことはさきに認定したとおりである。
しかしながら証人内田亀之助及び大塚孫三郎の各証言によれば、被告黒木光学の工場においては、社長黒木彌一が防火責任者となつている外、各作業場別に火気取締責任者を定め、就業時間後は工場内宿舎に住む社員として防火の任に当らしていること、本件火災の発生当時においても、構内に二名の社員が残留しており、消防署に通報していること及び同工場において使用する危険な薬品については、以前から法規に従つて貯蔵庫を設けており、その検査にも合格していることが認められる。
従つて、前記の事実をもつて同被告に本件火災につき重大な過失があるとすることは困難であり、他に重過失を認めるに足りる証拠はない。
四、以上のとおり、本件の火災については、被告両名に重大な過失があつたとは認められないので、その存在を前提とする原告の本訴請求は、既にこの点において失当であるから他の点に判断を加えずに棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古関敏正 田中盈 太田夏生)